11 オススメ作品

あくまで、個人的な基準。というかみんなに読んでほしいという個人的願望

ラッシュライフ /伊坂幸太郎

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伊坂幸太郎二冊目

これは面白い。最初はバラバラだったそれぞれの登場人物たちの物語が、最後に向けて上手くつながっていく

まあ所々「なんじゃそりゃ」と思わなくもないけど

社会的な成功者が憎らしく描かれていて、そいつらが最後に敗北して「ざまーみろ」と思った。あれは快感

実際どれほど絶妙に辻褄があっているのか、最後まで読んでからもう一度読み返して確認したくなる。冒頭に出てくるだまし絵のように

解説で「ポール・オースターのような……エレガントな前衛」という言葉が出てくるけど、確かにこの小説を読むとその表現にも頷ける気がする

まあオースターよりはずっと軽妙洒脱というか、陰と陽で言えば陽に近いと思うけど。ただ何か運命的なものや、啓示にも似た気まぐれな思いつきに支配されている登場人物などにも、似ているところを感じる

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僕はマゼランと旅した /ダイベック

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★★★★★

はじめのうちは「う~ん……」と思っていたが、とんでもない
連作短編って、長編よりいいかもしれない。そんな風に思ってしまった
何が素晴らしいか……はおおよそ訳者解説に書いてある通りだと思うので、本屋でまずそこから立ち読みしてみてもいいかも
でもそのうえで読んだ人それぞれが魅力を見つける作品かな
チンピラ共をこんなに魅力的に描く作品はみたことがない……不思議だ

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重力ピエロ /伊坂幸太郎

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★★★★★

複線の貼り方、会話の運び、豆知識の使い方が非常にうまいなーと思った

途中、どんどん不安が膨らんでいくんだけど、ラストでほっとできるというか、ちょっとばかばかしいけど、微笑ましいというかいじらしいというか

主人公は割と普通の人だけど、その分弟がいい味出してる

そして憎まれ役の憎たらしさもすごい。久しぶりに小説の登場人物を本気で殴りたくなった

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人間の土地/サン=テグジュペリ

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著者の体験に基づく克明で真に迫る描写、絶望と希望双方の鮮やかさが目を引く
そして戦争を通してなされた、人間の在り方に関する深く鋭い考察は、現代でも全く色あせることがないように思われる
思想と物語、そして言葉の美しさと三拍子そろった、間違いなしの名作
最後についている宮崎駿の解説もなかなか興味深い

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ムーン・パレス /オースター

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これは非常に面白い
爽快感や不快感を覚えたり、ワクワクやびっくりしたり、決して退屈しない
で、やっぱりこの人の文章は味があるなーと思った。モチーフ(月)の使い方もうまいし。登場人物も多くはないけど、それぞれが魅力的だ
ところでこの作品の前半部分を読んで、読者は普通どう感じるのだろうか?
ほとんど自棄になって自分を葬ろうとしているかのようにすら見える主人公。確かに滑稽なのかもしれない
でも自分にはどうも、そんな主人公の衝動が切実なもののようの感じられたのだ。むしろ一種の憧れすら抱く
若いということの、一つの形なんだろうか?

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赤朽葉家の伝説/桜庭一樹

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これは面白い
主人公が語る、祖母と母の物語。ほのかに非現実的な要素やシュールな情景を織り交ぜ、日本の昭和史を追いながら物語は流れる
第二章「巨と虚の時代」が特に面白かった。4人の子供が、それぞれ時代の申し子を体現しているようで
第三章で自分の話に移る語り手は、見事に今の若者の典型。そんな時代になった背景、というか流れを紐解いていくのが第二章であるように思える
きっと読む人の年齢によって、読み方は全く変わってくるのだろう。自分は若い主人公が、自分と現代のルーツを探す物語として読んだ
「語るべき新しい物語はなにもない」と言う主人公。それは、今の若者に語るべき物語を作っていけというメッセージなのかもしれない。なんていうと考えすぎだろうか
しかし、ずっと過去について語ってきたこの物語が、最後の最後で未来にちらっと目を向けるとき、なんだか不思議に爽やかな希望を感じた
過去を振り返りながらも、ノスタルジーで時代を美化しない。そんな態度が作品から読み取れるからこそ、この物語の一見なんでもないラストに、尊い価値があるように思えてくるのではないだろうか

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アンドロイドは電気羊の夢を見るか? /フィリップ・K・ディック

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映画「ブレード・ランナー」は昔見たことがある。ただ、原作と言ってもストーリーは全然違った
非常に面白かった
人間そっくりのアンドロイドという存在を通して、人間とは何かを考えさせられる作品
主人公のアイデンティティが人間とアンドロイドの狭間で危うくなるとき、僕にはむしろ作品世界内の人間の方がひどくグロテスクに見えた
機械で誰かとの共感を体験し、動物を飼って感情移入の「能力」を示さないと、人間でいることができない
レイチェルを抱くデッカード、アンドロイド達を友とするイジドアが、そんな人間とアンドロイドの壁をさらに破壊していく。果ては現実と妄想の境界もわからなくなってしまう
読むうちに主人公と共に気が滅入っていく。自分が人間である証拠を、本気で探したくなる。探さなくちゃいけない気がしてくる

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神様の悪魔か少年/中村九郎

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作者の最高傑作だと思う
終盤のどんでん返しもさることながら、やはり独特の言葉で織り成される主人公の心情が面白い
帯に「こんな悪童見たことない」とか書いてあるし、表紙には笑っている少年の絵があるから、どんなピカレスク小説かと思ったら……
結構重たくて救いようの無い話のようだったけど、最後のおかげで読後感は悪くない
テーマは作者得意の思春期の少年。ただこの作品は身勝手な大人が対置されて、被害者としての子供の苦しみ、憐れさがひしひしと迫ってくる
ただ、作品内の世界が閉鎖的でやや得意なのと、終盤の展開が結構激しいので、非常にリアリティーがあるという感じではない

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スティル・ライフ/池澤夏樹

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★★★★★

池澤夏樹の代表作
『スティル・ライフ』と『ヤー・チャイカ』という中篇二本立て
『スティル・ライフ』はどこか淡々とした中に、えもいわれぬ不思議な色彩がきらめく様な作品だと思った。その魔力の一つの根源は、理系っぽい話題ではないだろうか。この人の挿入する理系っぽい話題は妙にロマンティックで、今までの長い文学の歴史でも決して書かなかっただろう自然や宇宙を描いて見せてくれる
主人公は先に読んだ『マリコ/マリキータ』にも現れた、定住しない、自分を位置づけない人間で、やはり魅力的だった。こんな生き方もいいかもしれない、と思ってしまう
『スティル・ライフ』が小説の構造、展開の分かりやすい作品だったのに対して、『ヤー・チャイカ』は不思議な作品だった
軍事関係の研究をしている主人公と、ロシア(ソ連)から来て日本で働いている男の話なのだが、それと独立したような形で主人公の娘のモノローグが挿入される。その内容は恐竜を飼っているというもので、これが何を意味するのかが残念ながら自分にはさっぱり分からない。情景としては面白いけれど

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若きウェルテルの悩み/ゲーテ

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昔一度読んだのをまた読み返してみた。昔はこれを読んで、自分も全精神をかけて恋をしたいと思ったものだ
なぜこの作品がこれほどに胸を打つのかわからない。無条件に好きだ。それゆえに感想を述べるのはかえって難しい
ただ、ヒロインのロッテはあまり好きではない。これまでの傾向から言って、自分は文学に登場ずる女性の母性とか敬虔さとかにあまり惹かれないタイプらしい
それに彼女が終盤で垣間見せる、ウェルテルを危険のない友人として縛りつけようとするしたたかさがどうしても憎く思えてしまう。読んでいてウェルテルに気持ちが寄りすぎることによる弊害かもしれない
自分が特に面白いと思うシーンは、ウェルテルとアルベルトが自殺について議論する場面。ウェルテルの「自殺は熱病」という主張が高校当時斬新だった
今でこそ「精神の病」という概念ができたが、この考えは当時としては、ましてキリスト教は自殺を禁じていたのだから、かなり革新的だったのではないか
そして第二巻で役所勤めに嫌気が差すウェルテル。社会の醜さに耐えられないという彼の訴えが、彼を我々にぐっと近づけるように思われる
それに対してアルベルトは地に足つけた実務的な人間。若い読者がウェルテルを自分に引き付けて考えるとき、アルベルトは父親に代表されるような「大人」としてあらわれるのではないだろうか。こんな話をすると、この小説がエディプスコンプレックスの話みたいになってしまうかもしれないが

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赤と黒/スタンダール(光文社古典新訳文庫)

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人妻VSお嬢様

かつて岩波で読んだことがある作品だが、読んだのがだいぶ前のことだったというのもあり、新訳で改めて読んでみた

新訳で文章がかなり読みやすくなったのもあるが、さらにこの文庫では時代背景や金銭についての解説が上巻の終わりについている。簡単な説明だが、自分のような歴史に疎い人間でもこの小説の背景が非常に分かりやすくなり大変ありがたい
さらに栞に主要登場人物と簡単な説明が書かれているのも大変便利。そんなところにも読みやすさ、とっつきやすさへの追求が見られる

やはりこの作品はいい。文学にしては珍しく(?) テンションが上がる
野心に満ちた主人公ジュリヤン、人妻でありながら乙女のようなレナール夫人、厳格だが愛情深いピラール神父、英雄を夢見る侯爵令嬢マチルド……登場人物がそれぞれ魅力的
貧しい農民のせがれであるジュリヤンが、才気と美貌でのし上がっていくサクセスストーリーでもあり、恋愛小説でもあり、歴史小説でもある
ジュリヤンは数多ある文学の主人公の中でもとりわけ魅力的な人物の一人ではないだろうか。野心家でプライドが高いくせに、繊細で非常に感じやすい。自ら力強く運命を切り拓いていくように見えて、ふと脆い面が見えてしまうアンバランスな感じがたまらない
そのジュリヤンが恋する二人の女性だが、先日友人との会話でも意見が対立したのだが、自分はマチルドの方が好きという、おそらく少数派であったりする。彼女が本気で恋に落ちたときの、一途で過激で無敵なさまが大好きだ。自分を殺そうとしたという理由で相手に惚れるというのもすごい

「あなたは私の主人、私はあなたの奴隷よ(中略)いつまでも私を支配してちょうだい」(下巻p.284)

なんかこのあたりの台詞はたまらないです。それなのにあっさり恋心が消えてしまったり……最後はジュリヤンにすっかり恋をしてしまうと分かっていても、彼女にはやきもきさせられた
ラストで彼女が憧れた先祖をそっくりなぞってジュリヤンの首を抱えるシーンは胸が震える。この尋常じゃない場面で、自分にとっての彼女に魅力は最高潮に達した
それにしても、神学校は本当に陰険で嫌だ。ヘッセの『車輪の下』も神学校に馴染めず、主人公の精神がやられてしまう話だったっけか?まあそっちは確か教育法の問題だった気もするが、どちらにせよ神学校はいいイメージではない。でもどちらも身分のないものが身を立てる機会の場として描かれているのも事実ではあるが

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存在の耐えられない軽さ /クンデラ

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一度聞いたら忘れられない強烈なタイトルのこの本
中身は非常に密度が高く、存在、肉体と精神、情欲、社会情勢など様々なテーマが、それほど多くはない登場人物を中心に扱われている
タイトルにもある軽さあるいは重さ、偶然と必然(Es muss sein!)など、ありふれた(と我々が思っている)二項対立を深く検討している部分も面白い
必然的に話の展開は早くないが、登場人物がそれぞれ立っているのもあって退屈することはない
とにかく作者の考えは独自性を持っていて面白い。しかもそれがあたかも登場人物の考えであるように自然と書かれていて、作者のお説教になっていないところがいい

解説がかなり詳しいのもありがたい

彼の小説においてはあくまで実存(=登場人物)は本質(=理論)に先立つのであって、思想、哲学はそれ自体として提示されるのではなく、(中略)つねに登場人物の「実存」の「主要な主題」「未知の側面」を探求するために必要な方便でしかないのだ。(解説 p.375 l.5)

なんだか自分が哲学的小説は好きでも哲学書は好きに慣れない理由の一端を見た気がする
きっと読者によってどの登場人物に共感したり、反発したりというのがあるでしょう。トマーシュなど反発を覚える人もいるかもしれないが、自分は大好きだ。彼が様々な女性と寝る理由を知ったときに好きになった
今回この作品を初めて読んだため、今までの版との違いなどは分からない。ただこれだけの完成稿があるのならかつてのものをわざわざ比較に読む必要があるのかが疑わしくも思える

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マリコ/マリキータ/池澤夏樹

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収録作品は順に「マリコ/マリキータ」「梯子の森と滑空する兄」「アップリンク」「冒険」「帰ってきた男」
それぞれ全く違った舞台、登場人物、展開の話だが、それぞれに共通している要素はかなりあると思う

共通点として挙げられるのは、一所にとどまらない登場人物たちと言えるのではないだろうか
私は何人でどこどこに住んでいて、これこれの仕事をしています、家族構成はこうこうです。みたいな当たり前の位置づけがどこか欠けてしまうような、あるいはそれを定めないことを望むような登場人物
表題作の「マリコ/マリキータ」というのは、日本人のマリコという女性の話だが、彼女はグアムでの生活が長く、現地風(スペイン風)にマリキータと呼ばれている。この「マリコ/マリキータ」という書き方が象徴的で、作者のセンスに感服せずにいられない。これ以上の説明はいらないだろう
しかも物語の最後では、彼女がグアムから去ってさらにどこかへ行ってしまったことが明らかになる。彼女は正に我々が持ってない種類の自由の持ち主であり、結局日本の生活に捕らわれて彼女を見失う語り手を通して、我々は彼女の持つ自由には決して届かないという憧れを見る
「梯子の森と滑空する兄」「冒険」も、同じように捕らわれない人の話。形はそれぞれ違うが
凡人である語り手が、そのような人を、決して真似できない、届かない人と憧れていることも共通している。ただ、その先にある感情はそれぞれ違う
「アップリンク」と「帰ってきた男」は、少し形而上学的なにおいがする作品で、世界対自分の関係がテーマといってよいと思う
この二作品の中には、自我が溶け出して世界と混ざり合うというような、日本的な哲学が見える。特に「帰ってきた男」はこのテーマが前面に出ているため、他の作品とは大きく違った空気を持っているように思える
面白いのは、「アップリンク」は語り手が大きな意志(神?)を否定せず、それに「使われる」ことも拒まないのに対して、「帰ってきた男」ではそのような大きな存在の勧誘を、地上に生きる者として拒否するということだ
エゴや競争原理を好ましく肯定するわけではなく、この世に生れ落ちた契約として受け入れ、守るという語り手の意思表示は、かなり特異なものに見える。読者だって、普通は語り手が主客を失った恍惚の世界へ身を委ねるという展開を予想するだろう。だからこそ敢えて、この作品はその出来事の後の時点からの回想となっているのかもしれない
いずれにせよ、甘美な世界を裏切った語り手の手記の最後は恐ろしく不気味だ。残り4作品が比較的爽やかなのに対して、「帰ってきた男」は随分と重たい

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悲しみよ こんにちは/サガン

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これを19歳で書いてしまうのだから、作者は恐ろしい人だ
確かに17歳の主人公の若さが作品の中心にある。しかし作者が若ければ若さを鮮やかに描けるというわけでもないだろう
このタイトルから何を想像するだろうか?思わず慟哭するような、身を切るような痛烈な、痛みに似た悲しみを想像するかもしれない
実際には、この作品の「悲しみ」は、我々が普通に思い描く悲しみとは少し違うような気がする。もっと複雑で、多くのとらえ難い何かを含んだ感情

ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。(冒頭部分)

とにかく読後は、悲しみというよりは沈み込むような倦怠に襲われた。朝起きてこの本を読んでしまい、一日のやる気がなくなっていった。これが否定的な表現ではないことを、小説が好きな人なら分かってくれると思う
話の筋としてはシンプルなものだが、一つ一つの言葉が深いと思う。一言たりとも無駄のない、精緻に編まれた物語
訳が少々古い気がする。河出書房の池澤夏樹個人編集の世界文学全集に収められたものの、訳は変わっていない模様(未確認)

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鼻/外套/査察官 /ゴーゴリ

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この翻訳の文体はとても面白い。おそらく作品のイメージをガラッと変えてしまうくらいの思い切った試みだろうと思う
旧訳との比較をしたわけではないが、作品の雰囲気にはよく合っているように思われた。もともとがかなり滑稽な話なので

・鼻
鼻が取れて一人歩きしだすという意味不明な話。幻想小説の中でも、想像不可能なタイプのもの
知人はこの作品の、パンの中から鼻が出てくるというくだりを読んで、しばらくパンを食べる気がしなかったらしい
鼻が取れるとか歩き出すとかあり得ない事件が起こるのに、登場人物はすぐにそれに順応してしまう。それがまた奇妙な感じだ
ものすごく馬鹿げた話だが、鼻がなくなることが自尊心に決定的な影響を及ぼすことや、鼻が持ち主本人より官位が上であることから、何か意味深いものも感じる。とはいえどうにも捕らえどころのない作品という気がした

・外套
なんとも言えない憐憫の情を起こさせる作品
外套一つこしらえるのにそんなに苦労するなんて……貧しくて苦しんでいたのは農民ばかりではなかったわけだ
ただ話としては『鼻』に比べるとさすがにインパクトに欠けるかな

・査察官
人間の醜さを嘲笑するかのような作品
とても笑えるのだけど、解説にもあるとおりあまり気持ちのいい笑いではないかな
それは欠点という意味ではなくて、そのようにして読み手に訴えてくるこの作品の魅力なのだけど
ここまで同情すべき人物も、共感できる人物も出てこない作品は珍しい。登場人物皆等しく、人の醜さ・愚かさを暴く作者の筆致の犠牲者だ

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虫の生活/ペレーヴィン(吉原深和子 訳/群像社ライブラリー)

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日々回転わたしたちのこの世界はフンコロガシに押されていく糞の玉だ。その中で他人の生き血を吸うことに明け暮れる蚊=ビジネスマンが飛び回り、闇の中で光の意味について蛾=若者が語り合い、いつか陽の目を見ようと単調な穴掘り仕事をつづける蝉の子=労働者が這いずっている。人生は虫の生活に似ているなどと思ってはいけない。宇宙に行き交うもの全てが変態を続ける虫の自我の現れなのだから――カフカの『変身』で始まった二十世紀の文学を締めくくる小さく深い虫物語

以上、扉のところの紹介文を丸々引用してみました。これだけでなんだかわくわくしてくる
まず始めに登場するのは蚊=ビジネスマン。人間の姿をしていた3人組が、突如蚊となって飛び立つ。しかしここでは人間→蚊という変化がはっきり書かれているからまだ普通で、それから先は変幻自在に虫⇔人間の変化が横行し、さらに両者が交じり合ったなんとも奇怪な姿で現れたりする
その姿は想像不可能性すら持っている。具体的にどういった状態なのか完全には想像できないところがこの作品にはあるようだ。考えて見ればロシアには、ゴーゴリというそんな奇怪さの先駆者がいた
全15章からなり、それぞれは半ば独立した話のようになっているが、少しずつ繋がっている。しかしそれぞれの話に出てくる虫たちが直接に出会うのは最後だけだ。各々の話で、登場人物達が独自の世界を築いていると言える
中心となるのは蚊、蛾、雌アリ。特に重要なのは蛾だろう。光を求めて飛ぶ蛾は自ら光る蛍になり(あるいは自らが蛍であることに気付き)、最後には自らの影?と戦う。二人の蛾の禅問答じみた対話は、内容も二人の立ち位置も『チャパーエフと空虚』の二人を思い出させる。雌アリのマリーナも「ただのマリア」に近いものを感じる。ただ『チャパーエフと空虚』ほど、全体として小難しいイメージはなく、むしろ作者の奔放なユーモアに目が向くと思う
蛾の対話ともう一つ、この作品の形而上学的テーマの軸になっているのは、フンコロガシ、スカラベの話で、いきなり息子の質問に対し父親が糞の玉を投げ返してこたえ、それを即座に子供が理解するという不思議なシーンで始まる。ここでもまた独我論を複雑に発展させたような話が展開される。好きな人はじっくり考えて読めばいいし、自分みたいに分からない人は右から左に受け流せばいいのではないだろうか
そういった分かりにくく難しい話とは別に、比較的分かりやすく身につまされる人も多いと思われる話は、蝉の子=労働者が、やがて怠惰なゴキブリへと堕していく話だろう。これは痛烈な風刺であり、警告でもある。この話は最後まで陰鬱なトーンを持っていて、ちょっと救いがない。アイロニーの中にややセンチメンタルな所があるように感じた

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ルーヂン/ツルゲーネフ(中村融 訳/岩波文庫)

「余計者」を描いた作品
停滞した田舎にやってきた才気煥発な男ルーヂンを巡る物語
初めのうちは、読み手も登場人物の影響を受けて、ルーヂンが素晴らしい人に見える
ルーヂンと接触する人がことごとく彼を褒めるのだから当然ともいえるが
唯一、彼を学生時代から知るレジネフという男だけが、彼はそんな素晴らしい人間ではないと主張する
この作品の主題を知っていれば、彼の言うことが少なくともある意味では正しいことは容易に想像がつくが
それでも自分は中盤くらいまではルーヂンは素晴らしいと思っていた。それくらい上手く周りの人間に持ち上げさせているし、ピガーゾフという偏屈な男との議論を通してそう思わせるよう誘導している
しかし、話がナターリヤとの恋の場面に及んでいくと、作者は一気にルーヂンを落とす。読者としては、ついに本性を表したか、という気になる
こうなるともうどうしようもない。ルーヂンは生半可な学問で身を飾っただけの軟弱者という印象を強く突きつけられ、こちらとしてもルーヂンに幻滅せざるを得ない
読者はナターリヤが味わった幻滅と同じ気分を共有する。この辺りが作者の上手いところではないだろうか
この時点でもはやルーヂンは口先だけの男という評価を下さざるを得ないような感じになる
ツルゲーネフの作品は、あまり特定の立場を作者が示さない傾向にあるようだ。その分、作中の人物の人物評価が読者に共有されやすいという気がする
ただ、そのままルーヂンはしょうもない男でした、と終わるのかと思ったらそうでもなかった
レジネフが最後にはルーヂンの擁護を始めるわけだ。実際ルーヂンに触発された青年が一人いて、彼の存在がレジネフの主張に意味を持たせている。それまでは、ただルーヂンの情熱的だが空疎な言葉にかぶれただけの軽率な奴にしか見えないわけだが
エピローグにおいて、筆者はルーヂンのような人間に新しい価値を与えている。このあたりの主張は解説にもある通りなのだろう
エンディングはとても印象的だった。プロレタリアートの暴動に加わってルーヂンは死ぬ
自分が身を捧げる事業を見出せなかった彼には、結局急進的に社会を変えることを目論む他なかったということか

ルーヂンは「貴族の巣」のラヴリェーツキーとはまた少々違った余計者という感じだ
ルーヂンにはラヴリェーツキーと違って、言葉の上では感化力がある。その分個性的に見える。何より若々しい
ラヴリェーツキーが自分の青春に幕を下ろすのに対して、ルーヂンはいつまでたっても青年から脱し切れてないようなところがある。そしてそのままもう疲れ果ててしまうのだ
最終的に居場所を見つけたラヴリェーツキーに対して、ルーヂンは破滅してしまう
ちなみに書かれたのは「ルーヂン」が1856年、「貴族の巣」が1859年だそうだ。さらに三年後の1862年には、あの「父と子」が書かれる
「父と子」のバザーロフはルーヂンとはまた違う。なんというか、徹底的な科学の信奉者であり、一番の違いはルーヂンがややアイデアリストじみているのに対してニヒリストであるということか
そうすると、ルーヂンもまたバザーロフと対比される、少し古いタイプと言えるのかも知れない。勿論30年代人とは違う意味でだが

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新ハムレット/太宰治(新潮文庫)

表題作の「新ハムレット」と、「女の決闘」
この二つの、元となる話から発展させた作品が特に秀逸。太宰の豊かな才能を感じさせる
太宰は暗くて嫌だ、ろくに読んでない人は絶対にそう言うので
そういう人にはこの「新ハムレット」と「御伽草子」を勧めたいと思う

・古典風
大まかの話の筋は単純だが、気になる箇所が二つほどある
まずは、てるが拾う十郎のノート。なんだか斜陽の直治のノートを彷彿とさせる
単に形の問題ではない。その内容も、斜陽の前身と言えるような気がする
そしてこの中に「所詮は、言葉だ。やっぱり、言葉だ。全ては、言葉だ」という文があるが
その直後、KRの手紙には「私は、言葉を憎みます」と書かれている
言葉にしなければ伝えられないものと
言葉にしてしまうと意味を失ってしまうもの

もう一つは、当然その後のネロの伝記
一体これをこの作品の中に挟む必要があったのだろうか?
むしろこの部分を書くために、この作品の背景が作られたのかもしれない
だって「滅亡の階級のために。チェリオ」だからね

・女の決闘
鴎外の訳した、オイレンベルグという作者の短編小説をもとに
その行間から空想して新しい作品にしてしまうという、面白い試みの作品
太宰の才能を垣間見ることのできる一編
これはまた、日本の自然主義文学へのアンチテーゼとも取れる作品だと思う
太宰が行っていることは、淡々とした描写の小編を、生き生きとしたドラマに変えることなのだから

・乞食学生
まさかの夢オチ
主人公と学生の距離が、微妙に接近と乖離を繰り返す様を描いた・・・・・・のかと思ったら
どちらかというと、自身の過去との対話だったのか。どうりで学生と主人公が似ている
そもそも32のおっさんが学生服を着て人前に立つなんてアイデアからして無茶だった
帰らぬ若さへの哀歌か

・新ハムレット
これは傑作
というか、単純に笑える。ヒドイw
一応シェイクスピアのハムレットを元にしているわけだが、もはやあんまり原型をとどめていない。大まかな筋書きだけ
だからこそ余計笑えるのだが
そして、全く理解しあうことのない、噛み合わない登場人物たちがまた滑稽
語っている内容としても、なかなか面白い。若さゆえの情熱だとか、言葉と愛だとか
特に言葉の問題は、上の「古典風」でも気になる箇所があったことを指摘した。太宰にとって重要な問題だったのだろう
自分には、決着のつかない悲しい問題のようにも思われる

この作品の王様はかなりの曲者だと思う。だいたい口調がちっとも王様らしくない
いかにも人当たりがよさそうで、当然ハムレットの筋を知っていれば、これは怪しいこと極まりない
自らを悪とは決して認めないし。追い詰められても最後まで言い訳。挙句殺して口封じ
ハムレットはすごく太宰の作品らしい、いじけた登場人物で
こいつの言葉は迂闊に信用できない、と思わせつつも、読者を強く惹きつける
笑えるばかりでなくて、内容も濃い。それぞれの会話が、じっくり読まれる必要があるものばかりだ。いずれ読み返そうと思う

・待つ
非常に短いが、意味深な作品
最後の一文を読んだ時、かなり不気味な気持ちがした

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デミアン/ヘッセ

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とっつきにくい作品ではあるかもしれないけど、好きな人は好きなのではなかろうか

ああでも、とりあえず感想文は書きにくい

やはりヘッセは青春を、思春期を書く天才だと思った
特にこの作品は幼少から青年まで、かなり濃密に書かれているのではないだろうか
親との関係とか、性の萌芽とか

アプラクサスという、光と闇を持ち合わせた神
これは何もキリスト教徒に限った問題ではないと思う
穢れなく美しい恋愛感情と、汚らわしい性欲との葛藤という経験一つ取ったって
我々はどこかで折り合いをつけなければならないことを知るはずではないだろうか

余談だけど
しるしのある人間、という話が出たときに
ドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフの主張を思い出したのは自分だけだろうか?

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