15 難解・奇作

一度くらい読んっでもよくわからない作品。けなしているわけではありません

ダロウェイ夫人 /ヴァージニア・ウルフ

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★★☆☆☆

意識の流れとか新手法とか、そういう話は訳者もあとがきであんまり気にするなって言ってるのでおいとくとして
んー、なんか好きじゃない
だって読みにくいもん。視点が分かりにくいっていうか
それにいらないものが多い気がするのは私だけ?
きっと生々しい描写は肉体についてだけではなく、精神についてもあまり歓迎すべきものではないのだと思う
とにかくひどく疲れたし、いま一つ入り込めなかった、というのが率直な感想

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神様の悪魔か少年/中村九郎

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★★★★★

作者の最高傑作だと思う
終盤のどんでん返しもさることながら、やはり独特の言葉で織り成される主人公の心情が面白い
帯に「こんな悪童見たことない」とか書いてあるし、表紙には笑っている少年の絵があるから、どんなピカレスク小説かと思ったら……
結構重たくて救いようの無い話のようだったけど、最後のおかげで読後感は悪くない
テーマは作者得意の思春期の少年。ただこの作品は身勝手な大人が対置されて、被害者としての子供の苦しみ、憐れさがひしひしと迫ってくる
ただ、作品内の世界が閉鎖的でやや得意なのと、終盤の展開が結構激しいので、非常にリアリティーがあるという感じではない

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眠れ―作品集「青い火影」〈1〉 /ペレーヴィン

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★★★☆☆

これでペレーヴィンの翻訳は全て読んだはず
あいかわらずの意味不明っぷり。これはとくに短編集なので、作品を跨ぐごとにどんどん煙に巻かれるような感覚を味わった
「世捨て男と六本指」という話が特にお気に入り
家畜の世界と運命を握るもの、といった関連付けはよくあるものだと思うけど、これは書き方が冴えていて、ありきたりな感じがしない
でも読みながら自分自身何度か眠ってしまったり。心と時間に余裕がある時に読むべきかと。それかタイトルの通り完全に夢を見るつもりで読むか

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恐怖の兜 (新・世界の神話) /ペレーヴィン

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★★★★☆

ペレーヴィン3冊目読了
3冊読んだ感じとしては、とっつきやすさは虫の生活>チャパーエフと空虚>恐怖の兜、といったところか
この作品の特徴はなんといっても話が全てチャットで進んでいくというところ。会話がテクストの中で最も重要な位置を占めるペレーヴィンが、行き着くところに行き着いたといったところか
協力して謎解きにあたったり愛を語ったり茶化したり衝突したりといった会話が非常に面白い
形式としては非常に読みやすいのだが、語りの内容は相変わらず難解。今までで一番難解だった気がする。肝心の恐怖の兜については二回くらい読み直したけどよく分からないし、最後に起きたことも何がなんだか
すっきりしなくてなんとなく救いがない感じのする終わり方は3冊に共通していると思った

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虫の生活/ペレーヴィン(吉原深和子 訳/群像社ライブラリー)

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日々回転わたしたちのこの世界はフンコロガシに押されていく糞の玉だ。その中で他人の生き血を吸うことに明け暮れる蚊=ビジネスマンが飛び回り、闇の中で光の意味について蛾=若者が語り合い、いつか陽の目を見ようと単調な穴掘り仕事をつづける蝉の子=労働者が這いずっている。人生は虫の生活に似ているなどと思ってはいけない。宇宙に行き交うもの全てが変態を続ける虫の自我の現れなのだから――カフカの『変身』で始まった二十世紀の文学を締めくくる小さく深い虫物語

以上、扉のところの紹介文を丸々引用してみました。これだけでなんだかわくわくしてくる
まず始めに登場するのは蚊=ビジネスマン。人間の姿をしていた3人組が、突如蚊となって飛び立つ。しかしここでは人間→蚊という変化がはっきり書かれているからまだ普通で、それから先は変幻自在に虫⇔人間の変化が横行し、さらに両者が交じり合ったなんとも奇怪な姿で現れたりする
その姿は想像不可能性すら持っている。具体的にどういった状態なのか完全には想像できないところがこの作品にはあるようだ。考えて見ればロシアには、ゴーゴリというそんな奇怪さの先駆者がいた
全15章からなり、それぞれは半ば独立した話のようになっているが、少しずつ繋がっている。しかしそれぞれの話に出てくる虫たちが直接に出会うのは最後だけだ。各々の話で、登場人物達が独自の世界を築いていると言える
中心となるのは蚊、蛾、雌アリ。特に重要なのは蛾だろう。光を求めて飛ぶ蛾は自ら光る蛍になり(あるいは自らが蛍であることに気付き)、最後には自らの影?と戦う。二人の蛾の禅問答じみた対話は、内容も二人の立ち位置も『チャパーエフと空虚』の二人を思い出させる。雌アリのマリーナも「ただのマリア」に近いものを感じる。ただ『チャパーエフと空虚』ほど、全体として小難しいイメージはなく、むしろ作者の奔放なユーモアに目が向くと思う
蛾の対話ともう一つ、この作品の形而上学的テーマの軸になっているのは、フンコロガシ、スカラベの話で、いきなり息子の質問に対し父親が糞の玉を投げ返してこたえ、それを即座に子供が理解するという不思議なシーンで始まる。ここでもまた独我論を複雑に発展させたような話が展開される。好きな人はじっくり考えて読めばいいし、自分みたいに分からない人は右から左に受け流せばいいのではないだろうか
そういった分かりにくく難しい話とは別に、比較的分かりやすく身につまされる人も多いと思われる話は、蝉の子=労働者が、やがて怠惰なゴキブリへと堕していく話だろう。これは痛烈な風刺であり、警告でもある。この話は最後まで陰鬱なトーンを持っていて、ちょっと救いがない。アイロニーの中にややセンチメンタルな所があるように感じた

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孤独の発明/オースター

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これは小説?
とりあえず普通の小説ではない。一筋の流れがないという意味においては
ではバラバラの断片の寄せ集めなのかというと、そういうわけでもない。不思議な作品
「見えない人間の肖像」と「記憶の書」の二部からなる。二つは繋がっていないようで繋がっている
執拗に繰り返される、閉塞的な部屋や、父と子の関係といったモチーフが印象的だった
前半の方が比較的分かりやすい。そこには「見えない人間」である語り手の父親の姿を描き出すという明確な目的があるからだ
後半部分はそれを受けて綴られる語り手自身の記憶と思索だが、それぞれの断片が織り成す複雑な網をきちんと理解するためには、読者にもそれなりの態度が求められそうである。自分には難解すぎた。あるいは努力が足りなかった。それぞれの断片はそれはそれとして面白いのだけど

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チャパーエフと空虚/ペレーヴィン(三浦岳 訳/群像社)

空虚(プストタ)は主人公の名でもあり、この作品のキーワードでもある。様々な箇所でこのプストタが執拗に繰り返される
この作品には時間軸が二つある。一つは現代、一つはロシア革命の時期である。主人公はこの二つの時間を、互いを夢のように思いながら往復する。もっとも、この表現がどこまで正しいのかわからないが
我々にもお馴染みの「胡蝶の夢」の話が引用されていて、実際この作品全体がその理念の下に展開していく。現代も革命期もどちらが現実というわけではないのだ
東洋哲学の影響が色濃く見えて、また日本をモチーフにした奇妙な夢も出てくる。そういったところから、日本人にも親しみやすい作品と言えるかも知れない(というかタイラ商事とミナモトグループがライバル会社だなんてネタロシア人にわかるのか?)
ただ、正に禅問答のような会話をいちいち真面目に検討していると頭が痛くなる。現実性というものをことごとく突き崩していく作品なので、少々頭がおかしくなっていくような感覚がある。勿論これは、否定的な意味ばかりではないが
哲学的な話を真面目に検討してみるもよし、長い滑稽な夢を見る気持ちで読むもよし。展開を追うだけでも十分面白いと思う

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デミアン/ヘッセ

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とっつきにくい作品ではあるかもしれないけど、好きな人は好きなのではなかろうか

ああでも、とりあえず感想文は書きにくい

やはりヘッセは青春を、思春期を書く天才だと思った
特にこの作品は幼少から青年まで、かなり濃密に書かれているのではないだろうか
親との関係とか、性の萌芽とか

アプラクサスという、光と闇を持ち合わせた神
これは何もキリスト教徒に限った問題ではないと思う
穢れなく美しい恋愛感情と、汚らわしい性欲との葛藤という経験一つ取ったって
我々はどこかで折り合いをつけなければならないことを知るはずではないだろうか

余談だけど
しるしのある人間、という話が出たときに
ドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフの主張を思い出したのは自分だけだろうか?

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白痴/ドストエフスキー

やはりこれだけ長いと読むのも一苦労だ
とはいえ、それだけの時間と労力を割く価値のある作品であることは確か。クライマックスを読むだけでも圧倒的だし
あとヒロインのナスターシャは今で言うとヤンデレ、令嬢アグラーヤはツンデレですね
アグラーヤとナスターシャの対面とか、ドキドキする
素直になれないアグラーヤ萌え

ロゴージンは読む人によって、好感と嫌悪のいずれを抱くかが変わってきそうなタイプ
俺は好きだけどね。こいつもある意味ヤンデレ
あれくらい一人の女性に夢中になれるというのはある意味羨ましい
ただそれが嫉妬に転じて殺人までしてしまうと、やっぱりかわいそうな人だけど

主人公ムイシュキン公爵のことにも触れるべきか
ただ自分がこの作品を読んでて一番何とも語りづらいのが彼のことだったりする
というか日本人に、彼が「無条件に美しい人間」であることがきちんと理解できるのかどうかが疑問。ここにはやはり宗教の壁が立ちはだかっているような気がしてならない
公爵が生身の人間らしくないとは言わない。でも二人の女性を巡って展開していく後半の中で、公爵の「愛している」は極めて不鮮明な気がする
いっそ完全に同情ですって割り切れればわかりやすいけど、そういうものでもなさそうだ
彼の恋って、一体何?

ムイシュキン公爵の美しさが分からないのに、この作品を読んでて楽しいのか?と訊かれれば、答えはイエス
自分はむしろムイシュキン公爵を取り巻く人々、とりわけナスターシャとアグラーヤ、リザヴェータ、前半のガヴリーラ、後半のイポリートを眺めているのが面白い
公爵の美しさはさておき、そんな人がいたら周りは・・・・・・という楽しみ方か
この作品にはどこか、型破りな人間を楽しむような味わいがある気がする。なんか読み方間違ってるっぽいけど

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